東京から広島に帰ってきた筆者は、スナックのはしごをまったくしなくなりました。
主にクラブやDJバー、ロックの生演奏をするようなバーで飲むようになりました。
しかしこれから、人生を大きく変えることが立て続けに起こったのです。
バーで彼女と出会う
ある週末、ロックバーに入ると、女性がひとりで飲んでいました。
そのころは彼女がいない独り身だったので、酔いにまかせて話しかけてみます。
店員さんとは仲が良かったので「店員さんを含め3人のトライアングルトーク作戦」で彼女と話し始めます。
出会いはうまくいき、話は盛り上がり朝まで飲み明かしました。
酔った勢いで彼女の家まで押しかける
朝方、「で、どうする?」という話になり、彼女を送ることになります。
タクシーで送り、彼女の家に到着すると、そのまま家に入ることにも成功しました。
彼女はある男性と付き合って同棲していたらしいのですが、最近疎遠になっていたようです。
もう、酔ってフラフラなのでそのまま寝させてもらいました。
彼女と同棲生活を始める
そのまま転がり込んで、同棲生活がはじまりました。
男とは、しばらくたって別れたようです。それからは、彼女の家から会社に通い、会社が終わるといちもくさんに彼女の家へ帰りました。
初めての同棲生活はとても楽しかったことを覚えています。
毎週週末は、2人でDJバーやロックバーに通いました。
2人とも20代半ば、真面目に働いていたので、少々遊ぶほどの金はあったのです。
出会いから同棲、結婚へ
2年ほど同棲したのち、1回目の結婚にいたりました。
披露宴はどうも好かないので、なし。
みんなから3万円ずつ集めて結婚式場にそっくりそのまま300万円支払う、なんてバカバカしい。
家族だけの少人数の地味婚にしました。
東京に転勤、残業残業の悲惨な生活
また、東京に転勤になります。
ところで、筆者はそのころIT系のSE(システム・エンジニア)をやっていたのですが、東京で入れられたプロジェクトは、火の車でした。
毎日まいにち、仕事が終わるのが午前様。家に帰れないので、ビジネスホテルを取りました。
しかし、毎晩、朝の5時とか6時まで残業。残業で徹夜になることもしばしです。
土日も出勤・徹夜、残業時間が200時間を超える
朝7時ごろホテルに帰り、1時間ほど仮眠をとってまた出勤。
ホテルにでシャワーを浴びて30分くらい寝て・・・・・・7000円払ってすぐ出勤。
なんのためにホテルを取ったのだかわかりゃしない。
土日も出勤、残業して徹夜。月の休みは1回。
残業時間100時間どころか、250時間にも達しました。
給料は残業代で倍くらいもらえましたが、どんどん体調が悪くなり、寝たくても寝れなくなってしまいました。
徹夜して眠たいのに眠れない。睡眠時間ゼロの日が何日もつづきます。
そのころは分からなかったのですが、後に考えるとすでにうつ病になっていたのです。
当時25才の若者はうつ病などという病気を知りませんでした。
病院に行くも、精神科じゃなかった
「病院に行こう」
と思いました。
が、そのころは若くてよくわからなかったので、「精神科」ではなく「内科」にいってしまいました。
内科では不眠症、うつ病などはあつかいません。
とりあえず「抗ヒスタミン剤」を「眠くなるから」と処方され、それで終わりでした。
【抗ヒスタミン剤】
・花粉症などのアレルギーの諸症状を緩和のため
・皮膚の痒みを緩和するため。
・風邪によるアレルギー症状の緩和のため
第一世代は脂溶性が高いため血液脳関門を容易に通過し、中枢神経系、特に視床下部に作用して眠気を引き起こす
Wikipedia 抗ヒスタミン剤 より引用
抗ヒスタミン剤はそもそもアレルギー症状を緩和してかゆみを軽くするのが目的なのですが、副作用で眠くなります。
その「副作用で眠れ」と内科の医者はいうのです。
しかし、うつ病ではその程度の薬理作用ではまったく眠れませんでした。
上司に精神科に連れていかれる
しばらくぶりに取締役に会いました。
「どうしたん、その顔は!」
驚いて言われた。
元気なころと違って、もう、能面のような無表情になっていたらしいのです。
「ちょっと、精神科にいってみなさい。紹介するから」
もうしんどくてしょうがない。言われた通りに行ってみました。
(つづく)
まとめ
現在では残業50時間かそこらを超えると、労働基準局の査察が入るようですが。
当時はそんなものはまったくありませんでした。
IT系のシステムエンジニアは3Kと呼ばれていました。
とにかくどの会社のシステムエンジニアもこき使われて、飛び降り〇〇した人もいました。
筆者は残業時間100時間どころか残業250時間を超え、どうやらうつ病になったようなのです。