●所長が酒気帯び運転を繰り返す話
平成のはじめごろ勤めていたシステム系の会社。
所長は、そこの所長になる前、マルチ商法の上層部にいたのです。某羽毛布団のマルチ商法。
その所長が、毎日のように酒気帯び運転で帰宅していました。
●マルチ商法で荒稼ぎした所長
そのマルチ商法では仕入れ原価の5倍以上の値段、100万を超えるような布団を扱っていました。
もちろんマルチ商法の上層部なので、下が稼ぐ分を吸い上げ、本人は何もせずに金が転がり込んできたらしいのです。
本人いわく、ポケットに万札が腐るほどあって、使っても使っても使いきれなかったとのこと。
そして警察のガサいれが入る寸前に退職して、うまいこと逃げたのです。金を稼ぐだけ稼いでトンズラです。
メンヘラ男。アルコール依存症歴11年、25歳でうつ病、39歳でアルコール依存症とうつ病を再発、さらに双極性障害になりメンヘラに。断酒に失敗し広島の瀬野川病院、呉みどりヶ丘病院などの精神病院・閉鎖病棟に10回も入院。精神障害者手帳2級、障害年金2級。断酒・入院・うつの体験談、どうやって飲まないで生きていくかのノウハウを書いていきます。
※なお、筆者の体験談は事実のままですが、断酒会の事例は架空の人物ものとします
所長は酒気帯び運転の常習犯
所長は毎日のように酒気帯び運転・飲酒運転を繰り返していました。
いつも愛車のベンツで酒気帯び運転
いつもベンツに乗って、さっそうと現れます。いや、さっそうとは違い、贅沢のしすぎと不摂生で腹はでっぷりと飛び出て二重アゴ。髪はオールバックでダブルのスーツを着て、カタギには見えませんでした。
マルチ商法時代、毎日飲んで、酒気帯び運転で帰っていたようです。そのくせが抜けず、所長になっても毎日酒気帯び運転。
ある日、西広島バイパスに昇ったところでよくやっている、酒気帯び運転の検問に出くわしました。
バイパスなので交差点も信号もなく、逃げようがない。酒をたらふく飲んでいたので、当然引っかかりました。当時、30数年前の酒気帯び運転の罰則はまだ甘く、6点減点の免停でした。
3日連続酒気帯び運転で逮捕、交通刑務所へ
しかし所長はこりもせず、次の日も飲んで酒気帯び運転で帰ったのです。なぜか、次の日もまったく同じところで検問が行われていました。また引っかかります。
免停中の酒気帯び運転ということで、さすがに免許取り消しになりました。
しかし所長はまったくこりず、さらに次の日も飲んで酒気帯び運転で帰ります。そして、さすがに3日連続検問はないと思ったのでしょう。また酒気帯び運転で通りかかります。
しかし、3日連続検問していたのです。また検問に引っかかり、無免許運転で3日連続酒気帯び運転ということで「逮捕」され、交通刑務所行きとなってしまいました。
逮捕され、実刑6ヵ月でした。
逮捕され少年院にいた女子社員
当時の会社には、少年院にいったことがある20歳くらいの可愛い女の子がいて、よく刑務所話をしていました。
「刑務所に入ったら、身も心もキレイになった気がするよのう」
「そうですね、私もそうでした」
なんて会話が会社の中で普通に行われていました。
カタギの会社の会話ではない!
毎日のように酒気帯び運転
毎日とはいわないですが、所長はよく飲みに連れていってくれました。
毎日、日本酒を一升飲む
古い焼き肉屋で、大将が一人でやっている分厚いタンが美味いなじみの店でした。
ポットからコップに熱燗をついで、マッチ棒をその数だけ置いて大将に申告・支払いをする。そんな変わった店でしたが、とにかく分厚いタンやカルビが美味かったのです。
1人マッチ棒で10本、ようするにコップ10杯、1升くらいの熱燗を飲みます。そして所長はいつも、こりもせずに酒気帯び運転で帰っていきました。
酒と肉で元気いっぱい
所長は毎日のように飲んでいました。
しかし、運動はたまにいくゴルフくらい。何か健康のためにしている、なんて話は聞いたことがない。不摂生あふれる暮らしをしています。
しかし、いつもバイタリティーあふれています。酒と肉のせいでしょうか。
交通事故の訃報の電話
出勤すると訃報の電話が
ある朝、出勤すると1本の電話がかかってきました。
所長の奥さんからでした。
「主人が昨日亡くなりました」
と。
え? どういうこと?
事態が飲みこめません。
まだ夢見心地で、来ていない社員全員に電話をしてみましたが「は?何を言いよるん?」と、誰も信じてくれません。
元気だったのに若くして亡くなった所長
直接の死因は、車ごと市内電車(チンチン電車)の「電停のコンクリート」に正面衝突したらしいのです。
しかし、電停まで、ブレーキ痕はまったくなかったとのこと。運転席のシートは衝撃のせいか、真後ろまで倒れていたらしい。
普通の事故であれば、ぶつかる寸前に必ずブレーキをかけるはず。ぶつかる瞬間はふんばるので、シートが真後ろまで倒れるハズはない。
皆の想像は、運転中にすでに心筋梗塞などの心臓発作で意識を失った。そのまま電停に突っ込んでいったのではないかというものでした。
会社は空中分解
あれほど元気だったのに若くして亡くなった所長。広島営業所は空中分解し、私を含めほとんどの社員は辞めました。
今になって思うのは
- 毎日酒を飲まないと気が済まない
- 飲むと、必ず酒気帯び運転・飲酒運転で帰る
このようなことから、所長はアルコール依存症、またはそれになりかけだったのではないだろうかと思います。
まだ60歳になっていなかったのです。残念でした・・・・・・。
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