●B型肝炎なのに酒をやめず、肝硬変で亡くなった先輩
今回は、中学校の時の先輩と飲み屋で再会。
30代のころは元気だったものの、B型肝炎を患っていたことが発覚。
禁酒してインターフェロン治療を受けなければならないのに、拒否して肝硬変に。
酒を飲み続け、結局42歳の若さで2人の娘さんを残して亡くなったP先輩の話です。
メンヘラ男。アルコール依存症歴11年、25歳でうつ病、39歳でアルコール依存症とうつ病を再発、さらに双極性障害になりメンヘラに。断酒に失敗し広島の瀬野川病院、呉みどりヶ丘病院などの精神病院・閉鎖病棟に10回も入院。精神障害者手帳2級、障害年金2級。断酒・入院・うつの体験談、どうやって飲まないで生きていくかのノウハウを書いていきます。
※なお、筆者の体験談は事実のままですが、断酒会の事例は架空の人物ものとします
団地の居酒屋に通う
30歳をいくつか過ぎたころ、団地に引っ越しました。
結婚して長女が産まれたのですが、妻は看護師。筆者が残業の日と嫁の夜勤が重なると、子どもを見る人がいなくなってしまうのです。なので、義母に子どもを見てもらうため仕方なしに二世帯住宅を建てて田舎に引っ込みました。
団地の居酒屋へ通う
その団地の上り口に小さな鉄板焼き屋がありました。鉄板焼き、といってもメニューはそんなになく、酒を出すのがメインの飲み屋でした。
大将の本業は現場の仕事で、それが終わって店兼家に帰ってから店を始める。いわゆる副業です。
奥さんも手伝っていました。
現場の人はアルコールを一気飲み
店は、わりと繁盛していました。夕方、訪れると、仕事が現場作業の人たちでにぎわっています。
小さな店ですが、10人以上いる時もありました。みなグレーのような作業服でした。
言葉遣いも「オマエ何ようるんなワリャ」というような荒っぽい現場ことばが普通で、私もそれに合わせてぶっきらぼうに話しました。
みな酒が強く、生ビールも焼酎も一気飲みでした。
年はちょうど1つか2つ上が多く、現場系の中にサラリーマンがスーツで訪れるのは珍しかったのか、大将も客も可愛がってくれます。
毎日顔を出す先輩はアルコール依存症?
その店は一見さんなどおらず、常連客ばかりです。毎日同じメンバーが集まり、飲んだくれていました。
同じ中学校の先輩にあう
Pさん(仮名)という、イケメンがいつも飲んでいました。話をすると、偶然にも同じ中学の先輩でした。先輩後輩ということもあり、いろいろ話しかけてくれます。
私は週に1、2回しか訪れなかったのですが、Pさんは必ず同じ席にいて酔っ払ってました。
聞くと、毎日来ているといいます。その時はアルコール依存症について知らなかったのですが、今考えると依存症に近かったのだと思います。
毎週、その居酒屋に通う
毎週、金曜日あたりにその店で飲むのが普通になってきました。現場系の人たちは、仕事帰りに毎日来ているらしいのです。
一回店に入ると飲み仲間がなかなか帰らせてもらえず。妻からの「帰ってこい」携帯が鳴らないと帰れないようなありさまでした。
B型肝炎・肝硬変による異変
何年か経つと、P先輩の様子がおかしくなってきました。
P先輩に黄疸が出始めた
10年に近い年月が経ちました。ふと気がついたのですが、P先輩の顔が異様に茶色いのです。
白目も黄色くなっている。そして顔がシワだらけ。黄疸だ・・・・・・
P先輩のあだ名が変わる
出会ったときはイケメンと思っていたのですが・・・・・・数年経った今や、しわだらけになってきました。
皆のP先輩のあだ名も「Pくん」から「おじいちゃん」に変わってしまいました。
私と1つしか違わないのに、それほど老けてきたのです。
ビアガーデンでB型肝炎・肝硬変と知る
ある日、居酒屋でビアガーデンに行こう、という計画が持ち上がりました。
そして店の男連中と、その奥さん子ども20名ばかり、福屋デパートの屋上に集まります。
たまたまP先輩の奥さんの向かいに座ったので「P先輩、毎日よく飲みますねー」などと軽く話しかけました。
すると、奥さんがボソッと「あの人、B型肝炎で肝硬変になりよるんよ」と言うのです。
え! 初耳だ。それなら飲んだらダメじゃないか。
【肝硬変とは】
⇒参照:アルコール性肝炎・肝硬変・肝臓がんは死につながる
P先輩はB型肝炎で肝硬変
B型肝炎だというのは、ずいぶん前から知っていたようです。
B型肝炎で肝硬変なのに治療せず飲み続ける。本来は禁酒してインターフェロンの治療をすれば治るのに。
まだ30代でB型肝炎とは、注射器の回し打ちか?
「でもね、ぜんぜん言うこと聞かずに、毎日飲んで帰るんよ」
奥さんは心配そうに言っていました。
今、考えたらアルコール依存症
当時はわからなかったのですが、アルコール依存症になった筆者が今考えてみると
- B型肝炎である
- 肝硬変になっている
- 禁酒しないといけない
- 治療が必要なのに飲み続ける
P先輩は完全にアルコール依存症でした。酒を止めるのが嫌だから治療をしなかったのだと思います。
黄疸がますますひどくなる
その数年後、彼が40歳くらいの頃。P先輩の顔はもう、どす黒い茶色になり、白目はまっ黄色になってきました。しわも増え、イケメンの面影はまったくなく、おじいさんそのものです。
冗談で、腹をみせてくれました。20センチか30センチか、赤ん坊のお腹のように膨れています。腹水です。しかし、居酒屋には毎日飲みに行っています。
ママさんが言うには「もう死ぬのを覚悟しているみたい・・・・・・」
P先輩は短い一生を終えた
1年後、P先輩は亡くなりました。美人の奥さんは、目は真っ赤でしたが、すでに死を受け入れているようでした。
中学生の娘さんが2人いました。未亡人と父なし子を2人作ってしまったのです。
子供が可愛くなかったのか。なぜ肝炎の治療をしなかったのだろう。
答えは単純、「酒を飲めなくなるから」。
家族より酒を取るのがアルコール依存症者。また酒が、悲惨な一家を作り上げてしまいました・・・・・・
●この居酒屋の大将は、後に飲酒運転で亡くなります
⇒参考:「酒気帯び運転」でバイクで事故死!父親を失った悲惨な家族
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