今回は、中学校の時の先輩と飲み屋で再会。
30代のころは元気だったものの、B型肝炎を患っていたことが発覚。
禁酒してインターフェロン治療を受けなければならないのに、拒否して肝硬変に。
酒を飲み続け、結局2人の娘さんを残して亡くなった、P先輩の話です。
子供が産まれて団地に引っ越し



30歳をいくつか過ぎたころ、団地に引っ越しました。
結婚して長女が産まれたのですが、妻は看護師。
筆者が残業の日と嫁の夜勤が重なると、子どもを見る人がいなくなってしまうのです。
なので、仕方なしに二世帯住宅を建てて田舎に引っ込みました。
義母に子どもを見てもらうためです。
その団地の中ほどに家を建てたのですが、家に帰る途中、団地の上り口に小さな鉄板焼き屋がありました。
「パンチ」という看板です。
鉄板焼き、といってもメニューはそんなになく、酒を出すのがメインの飲み屋でした。
大将の本業は現場の仕事で、それが終わって店兼家に帰ってから店を始める。
いわゆる副業です。
奥さんも手伝っていました。
生ビールも焼酎もがぶ飲み



店は、わりと繁盛していました。
夕方、訪れると、仕事が現場作業の人たちでにぎわっています。
小さな店ですが、10人以上いる時もありました。
みな灰色のような作業服でした。
言葉遣いも
「オマエ何ようるんなワリャ―ッ」
というような荒っぽい現場ことばが普通で、筆者もそれに合わせてぶっきらぼうに話します。
みな酒が強く、生ビールも焼酎もがぶ飲みでした。
年はちょうど1つか2つ上が多く、現場系の中にサラリーマンがスーツで訪れるのは珍しかったのか、大将も客も可愛がってくれた。
毎日顔を出す先輩、アルコール依存症?
その店は一見さんなどおらず、常連客ばかりでした。
同じ中学校の先輩



Pさん(仮名)という、イケメン男性がいつも飲んでいました。
話をすると、たまたま偶然にも同じ中学の1つ上の先輩でした。
先輩後輩ということもあり、いろいろ話しかけてくれます。
ぼくは週に1、2回しか訪れなかったのですが、Pさんは必ず同じ席にいて酔っ払ってました。
聞くと、毎日来ているという。
その時はアルコール依存症について知らなかったのですが、今考えるとそれに近かったのだと思います。
毎週パンチに通う
毎週、金曜日あたりにパンチで飲むのが普通になってきました。
現場系の人たちが、仕事帰りに毎日来ているらしい。
一回店に入るとパンチ仲間、つまりパンチーズがなかなか帰らせてもらえず。
嫁からの「帰ってこい」携帯が鳴らないと帰れないようなありさまでした。
P先輩に異変が



何年か経つと、P先輩の様子がおかしくなってきました。
P先輩に黄疸が出始めた
10年とはいわないが、それに近い年月が経ちました。
ふと気がついたのですが、P先輩の顔が異様に茶色いのです。
白目も黄色くなっている。
そして顔がシワだらけ。
黄疸だ。
P先輩のあだ名が変わる
出会ったときはイケメンと思っていたのですが。
しわだらけになってきたので、パンチの皆のP先輩の呼びかたも「Pくん」から「おじいちゃん」に変わってしまいました。
それほどの老け方なのです。
ビアガーデンで真相を知る



ある日、パンチーズでビアガーデンに行こう、という計画が持ち上がりました。
そしてパンチーズの男連中と、その奥さん子ども20名ばかり、福屋デパートの屋上に集まります。
たまたまP先輩の奥さんの向かいに座ったので、
「P先輩、毎日よく飲みますねー」
などと軽い会話をしたつもりが、奥さんがボソッと
「あの人、B型肝炎で肝硬変になりよるんよ」
と言うのです。
え!
初耳だ。
それなら飲んだらダメじゃないか。
P先輩はB型肝炎で肝硬変



B型肝炎だというのは、ずいぶん前から知っていたようです。
B型肝炎なのに治療をしない
B型肝炎で肝硬変なのに治療せず飲み続ける。
禁酒してインターフェロンの治療しなきゃいけないのに。
まだ30代でB型肝炎とは、なにかをやったな。
「でもね、ぜんぜん言うこと聞かずに、毎日飲んで帰るんよ」
奥さんは心配そうに言っていました。
今、考えたらアルコール依存症



当時はわからなかったのですが、今やアルコール依存症になった筆者が今考えてみると
- B型肝炎である
- 肝硬変になっている
- 禁酒しないといけない
- 治療が必要なのに飲み続ける
P先輩は完全にアルコール依存症でした。
酒を止めるのが嫌だから治療をしかったのだと思います。
黄疸がますますひどくなる



その数年後、彼が40歳くらいの頃。
P先輩の顔はもう、どす黒い茶色になり、白目はまっ黄色になってきました。
しわも増え、イケメンの面影はまったくなく、おじいさんそのものです。
冗談で、腹をみせてくれました。
20センチか30センチか、赤ん坊のお腹のように膨れています。
腹水です。
しかし、パンチには毎日飲みに行っている。
ママさんが言うには
「もう死ぬのを覚悟しているみたい・・・・・・」
P先輩は短い一生を終える
1年後、P先輩は亡くなりました。
筆者はアルコール依存症の治療で入院中でしたが、葬儀には駆けつけました。
美人の奥さんは、目は真っ赤だったが、すでに死を受け入れているようでした。
中学生の娘さんが2人いました。
未亡人と父なし子を2人作ってしまったのです。
子供が可愛くなかったのか。
なぜ肝炎の治療をしなかったのだろう。
答えは単純、「酒を飲めなくなるから」。
家族より酒を取るのがアルコール依存症者。
また酒が、悲惨な一家を作り上げてしまった・・・・・・
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