警察の留置場からの釈放!精神病院・閉鎖病棟体験談(1-7)

留置場からの釈放

私は酔っ払って記憶をなくし、不審者として通報され安佐南区警察署の留置場に入れられた。しかし、決して犯罪を犯したわけではなかった・・・・・・

警察官「奥さんがこられました。出てください」

そういうと、警察官は鉄格子の鍵をあけ、ドアを開いた。私は警察官の指示にしたがって、鉄格子から釈放された。

10本の指の指紋を取られる
10本の指の指紋を取られる

留置場に入る前だか出た時だったか記憶があやふやだが、両手10本の指の指紋を採られた。昔ながらの「インクを指をつけて紙に押す」というやり方だった。警察のデータベースに指紋が登録され、嫌な感じがした

私「まるで犯罪者じゃないか! 何も罪を犯してないのに、この扱いはなんだ!」

ふに落ちない気持ちで、警察官のオジサンの後をついていった・・・・・・

●筆者筆者

 


メンヘラ男。アルコール依存症歴11年、25歳でうつ病、39歳でアルコール依存症とうつ病を再発、さらに双極性障害になりメンヘラに。断酒に失敗し広島の瀬野川病院、呉みどりヶ丘病院などの精神病院・閉鎖病棟に10回も入院。精神障害者手帳2級、障害年金2級。断酒・入院・うつの体験談、どうやって飲まないで生きていくかのノウハウを書いていきます。

※なお、筆者の体験談は事実のままですが、断酒会の事例は架空の人物ものとします

警察の留置場からの釈放

置場からの釈放時、財布は空だった
置場からの釈放時、財布は空だった

釈放時、没収され保管されていた「財布」「家の鍵」「タバコとライター」諸々を返してもらう。財布は、中身もろとも水びたしだった。財布の中身、診察券や名刺などはみなベチャベチャでふやけていた。

小銭入れには110円しかなかった。

「 バスに乗れないから、歩いてたのか・・・・・・ 」

小さな川土手を歩いていた記憶がよみがえる。そしてなぜか「水の中」にいた記憶が。

「川の中にいたということか。土手を歩いて川に落ちたのか?」

土手を歩いていた川は、浅い川。水面は腰のあたり。

土手を歩いて川に落ちた
土手を歩いて川に落ちた

私(まったく記憶に無い。記憶にないけど、財布がべちゃべちゃということは、川に落ちたのだろう。 川で溺れて死んでおけばよかったのかな。なんかどうでもいいや

よからぬことを考えていた。

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留置場から釈放され、車で家に帰る

留置場から釈放され、車で家に帰る
留置場から釈放され、車で家に帰る

妻と義母が迎えに来た。

私は警察署の留置場から釈放され、車の後部座席へなだれこんで、シートに寝ころんだ。運転席には妻が、助手席には義母が座っている。なんだか疲れていたし、彼女たちとは目を合わせたくはなかった。

車はゆるやかに発進した。黒い街、家の明かり、信号の赤・青、ライトに照らされた看板などが、窓の後ろにずっと流れていく。左から右へ通り過ぎる光を、後部座席に寝ころんだままボーっと見続けた。

このまま精神病院に行く?

精神病院の医者
精神病院の医者

妻と義母は、私をどうするのか、話している。

このまま精神病院につれていくか

一週間くらい様子を見るか

そんな会話をしている。

どうでもいいわ。私は酔っぱらってどこかのママさんたちと喋っただけ。違法な事は一切していない。違法な事をしたのであれば、事情徴収があり、拘置所に送られるはずだ。刑事事件になるはずが、そんなことは一切無かった。

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親父が「親子の縁を切る」と

親父が「親子の縁を切る」と
親父が「親子の縁を切る」と

家に帰り、一晩寝て、朝を迎えた。

私は酒を飲みたかったのだが、その時は飲まずにいた。義母が、ぼくの実の父親と電話で話している。聞き耳を立てると、どうやら昨日の出来事を父親へ伝えたようだった。

そばで聞いていると受話器をつきだされ、電話をかわった。そしてオヤジに「お前とは、今後、親子の縁を切る」といわれた。

私(親子の縁を切る!父親が?そんなことをいとも簡単にいいやがった)

私(だいたいぼくは警察の厄介になったが、別に違法なことはしていない)

私( そもそも、前回に酒を飲んで入院したのは、甲状腺異常で働くことができず餓死しそうだった妹を、親のかわりに生活保護の手続きをし、マンションを探し、病院で手術の手配までしたぼくと妻だ!

私(生活保護の手続きは非常に手間がかかる、そのストレスで酒を飲んでしまったんじゃないか。全身麻酔の手術の手配までしたのに、それは親がやるべきじゃないのか!)

私(そんな妹をほかしておいて、責任をぜんぶぼくに押し付けて、ひっくり返ったら親子の縁を切るだと!)

頭にきて、憤慨して、また酒をあおります。

憤慨して酒をあおる
憤慨して酒をあおる
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まとめ 警察の留置場からの釈放!そして親子の縁を切る

こんな個人的な事情がありました。

  • 妹がいるのですが、20年前に大災害が発生した台風19号の時、三菱重工に勤めていました。

  • ちょうど同じ工場内でクレーンが倒れ目の前で人が潰れて亡くなったそうです

  • それを目の前で見た妹はメンタルがおかしくなったのか、三菱重工を辞め、いろんな職を転々とし、最後には働かなくなりました。

  • 私や妻が差し入れでお金を渡していましたが、すぐになくなる。どうやらパチンコに使っていたようです。

  • 今度は米やカンヅメなど、物で渡したのですが、うちも小さい子がいたので限度があります。

  • 仕方なく、ぼくが区役所に何回も往復して、妹をなんとか生活保護にしました。生活保護にするにはかなり大変でした。

  • どうも甲状腺が貼れている(首回りにバナナより大きいくらいの巨大な腫れができていた)なので大学病院に何回も連れていき、手術の手配もしました。

  • これらは、ぜんぶ親がやるべきことではないでしょうか。

  • そこで「縁を切る」と言われたものですから、頭にきてまた酒をあおってしまったのです。

  • そこから私はどんどん坂道をころげおちていきます。

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