私は酔っ払って記憶をなくし、不審者として通報され安佐南区警察署の留置場に入れられた。しかし、決して犯罪を犯したわけではなかった・・・・・・
警察官「奥さんがこられました。出てください」
そういうと、警察官は鉄格子の鍵をあけ、ドアを開いた。私は警察官の指示にしたがって、鉄格子から釈放された。
留置場に入る前だか出た時だったか記憶があやふやだが、両手10本の指の指紋を採られた。昔ながらの「インクを指をつけて紙に押す」というやり方だった。警察のデータベースに指紋が登録され、嫌な感じがした。
私「まるで犯罪者じゃないか! 何も罪を犯してないのに、この扱いはなんだ!」
ふに落ちない気持ちで、警察官のオジサンの後をついていった・・・・・・
メンヘラ男。アルコール依存症歴11年、25歳でうつ病、39歳でアルコール依存症とうつ病を再発、さらに双極性障害になりメンヘラに。断酒に失敗し広島の瀬野川病院、呉みどりヶ丘病院などの精神病院・閉鎖病棟に10回も入院。精神障害者手帳2級、障害年金2級。断酒・入院・うつの体験談、どうやって飲まないで生きていくかのノウハウを書いていきます。
※なお、筆者の体験談は事実のままですが、断酒会の事例は架空の人物ものとします
警察の留置場からの釈放
釈放時、没収され保管されていた「財布」「家の鍵」「タバコとライター」諸々を返してもらう。財布は、中身もろとも水びたしだった。財布の中身、診察券や名刺などはみなベチャベチャでふやけていた。
小銭入れには110円しかなかった。
私「 バスに乗れないから、歩いてたのか・・・・・・ 」
小さな川土手を歩いていた記憶がよみがえる。そしてなぜか「水の中」にいた記憶が。
私「川の中にいたということか。土手を歩いて川に落ちたのか?」
土手を歩いていた川は、浅い川。水面は腰のあたり。
私(まったく記憶に無い。記憶にないけど、財布がべちゃべちゃということは、川に落ちたのだろう。 川で溺れて死んでおけばよかったのかな。なんかどうでもいいや)
よからぬことを考えていた。
留置場から釈放され、車で家に帰る
妻と義母が迎えに来た。
私は警察署の留置場から釈放され、車の後部座席へなだれこんで、シートに寝ころんだ。運転席には妻が、助手席には義母が座っている。なんだか疲れていたし、彼女たちとは目を合わせたくはなかった。
車はゆるやかに発進した。黒い街、家の明かり、信号の赤・青、ライトに照らされた看板などが、窓の後ろにずっと流れていく。左から右へ通り過ぎる光を、後部座席に寝ころんだままボーっと見続けた。
このまま精神病院に行く?
妻と義母は、私をどうするのか、話している。
「このまま精神病院につれていくか」
「一週間くらい様子を見るか」
そんな会話をしている。
どうでもいいわ。私は酔っぱらってどこかのママさんたちと喋っただけ。違法な事は一切していない。違法な事をしたのであれば、事情徴収があり、拘置所に送られるはずだ。刑事事件になるはずが、そんなことは一切無かった。
親父が「親子の縁を切る」と
家に帰り、一晩寝て、朝を迎えた。
私は酒を飲みたかったのだが、その時は飲まずにいた。義母が、ぼくの実の父親と電話で話している。聞き耳を立てると、どうやら昨日の出来事を父親へ伝えたようだった。
そばで聞いていると受話器をつきだされ、電話をかわった。そしてオヤジに「お前とは、今後、親子の縁を切る」といわれた。
私(親子の縁を切る!父親が?そんなことをいとも簡単にいいやがった)
私(だいたいぼくは警察の厄介になったが、別に違法なことはしていない)
私( そもそも、前回に酒を飲んで入院したのは、甲状腺異常で働くことができず餓死しそうだった妹を、親のかわりに生活保護の手続きをし、マンションを探し、病院で手術の手配までしたぼくと妻だ!)
私(生活保護の手続きは非常に手間がかかる、そのストレスで酒を飲んでしまったんじゃないか。全身麻酔の手術の手配までしたのに、それは親がやるべきじゃないのか!)
私(そんな妹をほかしておいて、責任をぜんぶぼくに押し付けて、ひっくり返ったら親子の縁を切るだと!)
頭にきて、憤慨して、また酒をあおります。
まとめ 警察の留置場からの釈放!そして親子の縁を切る
こんな個人的な事情がありました。
- 妹がいるのですが、20年前に大災害が発生した台風19号の時、三菱重工に勤めていました。
- ちょうど同じ工場内でクレーンが倒れ目の前で人が潰れて亡くなったそうです。
- それを目の前で見た妹はメンタルがおかしくなったのか、三菱重工を辞め、いろんな職を転々とし、最後には働かなくなりました。
- 私や妻が差し入れでお金を渡していましたが、すぐになくなる。どうやらパチンコに使っていたようです。
- 今度は米やカンヅメなど、物で渡したのですが、うちも小さい子がいたので限度があります。
- 仕方なく、ぼくが区役所に何回も往復して、妹をなんとか生活保護にしました。生活保護にするにはかなり大変でした。
- どうも甲状腺が貼れている(首回りにバナナより大きいくらいの巨大な腫れができていた)なので大学病院に何回も連れていき、手術の手配もしました。
- これらは、ぜんぶ親がやるべきことではないでしょうか。
- そこで「縁を切る」と言われたものですから、頭にきてまた酒をあおってしまったのです。
- そこから私はどんどん坂道をころげおちていきます。
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