看護師「奥さんがこられてますので出てください」
そう言われ、保護室の鍵を開けられた。扉をあけ、デイルームへ重い足取りで向かう。どんな顔をして会えばいいのだろうか。妻は怒っているのか、心配しているのか、まるでわからない。
精神病院まで家から20キロ以上離れているが、それでも運転が苦手な妻は来てくれた。デイルームには、心配そうな顔した妻が立っていた・・・・・・
などということはまったくなく。
入院セットの黒いボストンバッグを持ち、これほど憎らしいものはない、といった顔をして私をにらみつけていた。
メンヘラ男。アルコール依存症歴11年、25歳でうつ病、39歳でアルコール依存症とうつ病を再発、さらに双極性障害になりメンヘラに。断酒に失敗し広島の瀬野川病院、呉みどりヶ丘病院などの精神病院・閉鎖病棟に10回も入院。精神障害者手帳2級、障害年金2級。断酒・入院・うつの体験談、どうやって飲まないで生きていくかのノウハウを書いていきます。
※なお、筆者の体験談は事実のままですが、断酒会の事例は架空の人物ものとします
妻の考えがわからない
妻は私の入院にはもう慣れていた。
黒いボストンバッグに、入院生活で必要なモノ、下着3着にTシャツ半ズボン、洗剤、歯磨きセット、コンタクトレンズ、洗浄液、シャンプーにボディーソープ、耳栓、テレフォンカード、飴類などを手慣れたように準備していた。
無言でボストンバッグを手渡される。彼女の心のように、ずしりと重い感じがした。
はたして、どういう思いで病院まで来たのだろう。もうあきれ果てているのだろうか。
別れるつもりなのだろうか。無言の表情からは読み取れなかった。
妻に離婚したいと言われた
無言の空気に耐えられなくなり、私のほうから先に声を出した。
私「どうするつもり?」
妻「もう疲れた。離婚したい」
私「それなら離婚届けを送ってくれ」
妻「ちょっと考えさせて」
それだけ言うと、妻はそっぽをむいてデイルームから出った。
「愛情」などという甘いものはすでに消えていた。結婚して10年、とうとうこの日がきた。離婚か・・・・・・
10年間、作り上げてきたモノすべてを失う。家族として過ごしてきた10年間。全部失う。
娘2人の親権は、入退院を繰り返し休職している父ではなく、看護師として真面目に病院に勤めている母へと、家裁は調停するだろう。
平和な家庭。可愛い2人の娘。
私がみな、壊してしまったのか。
すべて台無しにしてしまったのか。
どす黒い嫌な感情が胸からあふれ吹き出し、嘔吐しそうになった。
耐えられない。
マンガ雑誌があった
私の中のどす黒い嫌な感情が身体中から吹き出し、耐えられなくなった。
看護師に言って、精神安定剤をもらった。
また、点滴が始まるらしい。
保護室に戻る前、デイルームに20冊くらい置いてあるマンガが目についた。「少年サンデー」「少年マガジン」「少年ジャンプ」・・・・・・
昔読んでいた懐かしい雑誌が本棚に無造作につっこんであった。どの本もボロボロ、表紙はしらっちゃけている。なんとか「マガジン」と読み取れるものもある。表紙がない物が何冊もある。
少年ジャンプを2、3冊手に取った。NARUTOがあったので読んでみたが、どれも覚えがある。表紙をよくみると「2008年」「2009年」「2010年」と大昔のもので、NARUTOはコミックですでに買って読んでいたものだった。
とりあえずジャンプを手に取り、保護室にもどった。NARUTO以外のマンガも読もうとしたが、まったく頭に入らない。
ガチャンと鍵を閉められた。
独りになり、またマイナス思考に
独りになると、またマイナス思考の渦に巻き込まれていく。
離婚は怖い。娘たちと離れたくない。
こんな状態で生きていくのはいやだ・・・・・・
死ぬ、生きる、死、生死生死生死生死・・・・・・
恐い、恐い、恐い恐い恐い恐い恐い・・・・・・
頭がおかしくなる!
看護師を呼んだ。
私「どこでもいいから他所にいかせてくれ!保護室は耐えられない!」
看護師「そうですね、マロさんは落ち着いてるし。半開放にできるよう頼んでみます」
私「明日から半開放だといいが・・・・・・」
夕飯を食べたあと、睡眠薬をもらい眠りについた。
何も考えずに眠るのが一番いい・・・・・・
妻に離婚したいと言われた。精神科に入院は辛い・精神病院体験談
- 最初のうちは入院するたびに妻は激怒していました
離婚するかしないか、本当に悩んで考えていたようです。それでも週に1回の売店日に必要な金、自販機でコーヒーを買えるようにWAONカードなどを必ず送ってくれまていました。 - 長女が高校受験の年だけは入院してくれるな、と何度も言われましたが、再飲酒してまた入院してしまいました
その時、妻に猛烈なストレスがかかったのでしょう。声が出なくなってしまいました。失語症でしょうか、本当にすまないことをしたと思います。 - 入院10回目ともなると、妻もなれた調子で、少々何が起こっても動じなくなっていました
生命保険給付金が入るので「お勤めいってきます」というと「がんばってらっしゃい」という感じに・・・・・・慣れは恐ろしい。
あなたに役立つ記事
人が良い飲み屋の大将だったが、飲酒運転をすることだけが唯一の欠点だった。飲んだ次の祭りの日、訃報が入った
⇒酒気帯び運転でバイクで事故死した飲み屋の大将と悲惨な家族
閉鎖病棟からまんまと脱走した。しかし、金を節約するため車の下で寝泊まりするハメに
⇒【悲惨】車の下で寝泊まりをするアルコール依存症 閉鎖病棟脱走記(8)
閉鎖病棟に入院中、ある患者が外泊した。そして帰院時、アルコールをまんまと持ち込んだ
⇒精神病院にアルコールを持ち込んだアルコール依存症患者