私は酒を毎日浴びるように飲んで、精神病院・閉鎖病棟につっこまれました。
妻はすでに私に愛想をつかしていました・・・・・・
メンヘラ男。アルコール依存症歴11年、25歳でうつ病、39歳でアルコール依存症とうつ病を再発、さらに双極性障害になりメンヘラに。断酒に失敗し広島の瀬野川病院、呉みどりヶ丘病院などの精神病院・閉鎖病棟に10回も入院。精神障害者手帳2級、障害年金2級。断酒・入院・うつの体験談、どうやって飲まないで生きていくかのノウハウを書いていきます。
※なお、筆者の体験談は事実のままですが、断酒会の事例は架空の人物ものとします
精神病院の閉鎖病棟では日付がわからなくなる
今日は入院何日目なのだろう。
いったい何月何日なのだろう。
長い間、精神病院の閉鎖病棟に閉じ込められていると、日付がまるでわからなくなる。まいにち毎日同じことの繰り返し。起きて、検温して、朝食を食べてタバコを吸い、アルコール勉強会に出席して、また昼メシを食べ・・・・・・
曜日すらわからなくなってくる。
デイルームの壁に、作業療法で作ったと思われる大きなカレンダーが貼ってある。が、カレンダーを見ても今日が何日なのか、何曜日なのかがわからなくなるのだ。
朝の9時から朝礼が行われるが、その際、看護師がはっきりと
看護師「おはようございます! 今日は9月2日の土曜日です!」
と日付と曜日をいってくれる。
私「ああ、今日はテレビで吉本新喜劇があるなぁ。怪傑えみチャンネルもあるなぁ。楽しみだなぁ」
と理解する。
閉鎖病棟ではテレビが重要
閉鎖病棟ではバラエティ番組は重要だ。暗く重い空気を唯一やわらげてくれるのが、お笑い番組なのである。
精神病院では個々にテレビはなく、デイルームにひとつだけ。なので多数決でテレビ番組を決めるのだが、お笑い番組はたいてい賛成多数となる。イッテQなどを家で観てる人も多く、そのまま病棟でも観れる場合が多い。
次に多いのが、なぜかミュージックステーションなどの音楽番組。ミュージックステーションはわりと若い人向けの歌手が出演するが、40代の患者でもミュージックステーションを見たがる。
いやな時期がある。水戸黄門 → 大相撲 → プロ野球が毎日放映される時期だ。毎日同じチャンネルのローテーション。まったく興味がないのに、お年寄りがどうしても見たがるのでチャンネルがそうなる。つまらない日々が続く。大勢の年寄りが見たがるので、ゆずるしかないのだ。
精神病院・閉鎖病棟からの電話
入院してすいぶんも経った気がした。
家族が、特に小さい娘たちが恋しくなってくる。娘の声が聞きたい。電話をしたほうがいいか、しないほうがよいか・・・・・・
先日、ボストンバッグに入院セットを持ってきた嫁さんのあの態度。ヘタ打てば、離婚話になるかもしれない。それだけはどうしても避けたい。しかし、前回入院したときのように、外泊許可は出ないだろう。離婚するかどうかの瀬戸際なのだから。
閉鎖病棟からの電話、娘の声を聞きたい
少しだけで良い、一言だけで良い。娘の声が聞きたい・・・・・・
電話をしてみた。
精神病院の閉鎖病棟に携帯電話は持ち込めない。電話をしようと思えば、閉鎖病棟に置いてある、世間ではほぼ絶滅した緑色の公衆電話を使うしかない。しかも売店で「テレフォンカード※」なるものを買わないといけない。
妻にテレフォンカードを送ってくるように頼んだことがある。しかしすでに、もうその辺の店には売っていなかった。公衆電話がないのに、テレフォンカードが売れるわけがない。売れないモノは店に置かない、当たり前。
※テレフォンカードとは:平成・令和の人に解説すると、公衆電話から電話をかけるためのプリペイドカード。1枚が50度や105度と決まっていて、1度=10円分。スマホや携帯がない時代はみな持っていた。今は絶滅危惧種。
今や、ラインやツイッターで世界中とリアルタイムで通信できる世の中になったというのに。いまだにテレフォンカード。とういうか、それはまだ存在していた。世の中で次々と撤廃されている公衆電話が、デイルームに設置されてた。
以前に入院した時に使っていた、残高がまだ残っているテレフォンカード。それが荷物の中にWAONカードと共に入れてあった。こんなものを、また使うことになるとは。
電話をかけてみた・・・・・・妻とは終わっていた
木製の電話ボックスに設置してある公衆電話の受話器を取り、その「テレフォンカード」を銀色のカード投入口につっ込む。
ボタンを押す。08284・・・・・・我が家のダイヤルを押す。
しばらく経って、義母が出た。
無表情な声で、「娘に代わる」そう言った。
向こうは妻に代わる。
妻「なんか用」
それは私の胸に突き刺すような、冷めた声だった。
私「別に、特にない。娘の声が聞きたいから」
妻「ふうん、そう」
さらに、胸を裂き切るような声が、受話器から響いてきた。娘の声が聞きたかっただけなのに、私の胸は張り叫び、もう聞く気になれない。ガシャン、と乱暴に受話器を置いた。
・・・・・・もう、二度と電話はしない。そう思った。
小学生の娘たちに手紙を書こう
私は今後、いったいどうなるのか。うつが酷くなり、死ぬかもしれない。生きる価値を見いだせない。娘たちに、「父親がちゃんといた」という証拠を残したい。
そうだ、手紙を書こう。
私はボストンバッグから、筆記用具を取り出した。
「娘たちへ。大きくなったら読んでください」
と見出しを書いた。
それが、この「精神病院・閉鎖病棟体験談」の元になった手紙だ。
まとめ 精神病院から電話するも、妻とは終わっていた。離婚かも
- 妻はまたアルコール依存症の再飲酒に激怒し、入院する度に憤慨していました
- 今でこそ「再飲酒は病気が原因である」ということを理解して、断酒している期間が長くなってきましたが、当時はまだまだどちらも知識が足らず、私も妻も入院する度に大騒ぎになっていました
- 今は娘たちが専門生、中学生と大きくなり、自立し始めましたが、当時は小学生や幼稚園。愛らしい娘と離れ離れになるのがとても辛かった覚えがあります
- 外界との連絡手段は公衆電話しかなく、携帯電話にかけるとテレフォンカードがすぐになくなってしまい困りました。売店で購入すると小遣いがすぐなくなるため、送ってくるように言ったのですが、「家から遠い生協にしか売ってない」と。売れない物は店に置かないので当たり前ですね。
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