私はアルコール依存症で精神病院の閉鎖病棟にいくたびか入院しました。
この記事は、精神病院で起こったことや体験談を書いたものです。
酒の飲み過ぎで記憶ないまま医師の診察を受け、勝手に医療保護入院が決定し、保護室に突っ込まれました。
私は保護室に独りもんもんし、後悔します。
そして保護室には時計がないので時間が経つのが遅く、閉口したのです。



メンヘラ男。アルコール依存症歴11年、25歳でうつ病、39歳でアルコール依存症とうつ病を再発、さらに双極性障害になりメンヘラに。断酒に失敗し広島の瀬野川病院、呉みどりヶ丘病院などの精神病院・閉鎖病棟に10回も入院。精神障害者手帳2級、障害年金2級。断酒・入院・うつの体験談、どうやって飲まないで生きていくかのノウハウを書いていきます。
※なお、筆者の体験談は事実のままですが、断酒会の事例は架空の人物ものとします
精神科の保護室で酒の飲みすぎに後悔



アルコールは完全に切れ、シラフにもどり、思考能力がまともになってきた。
そして鉄格子の保護室の中で独り考える。
「なぜ飲んでしまったのだろう・・・・・・」
あの時の1杯を激しく後悔する。
「なぜ1杯で止めなかったのだろう・・・・・・」
そして、続けざまに酒を飲んだことを後悔する。
「なぜ朝から飲んでしまったのだろう・・・・・・」
連続飲酒したことも後悔していた。
私はずっと後悔しながら、鉄格子の外、廊下をときおり通る看護師をずっと観察していた。看護師の会話の内容を聞きながら、他の部屋の患者たちを想像するのだった。
精神科で医療保護入院に、酒の飲みすぎで記憶がない



私は泥酔していたが、妻と「自ら」病院に来たので「任意入院」だと思っていた。任意入院はいつでも退院できるので、酔いが覚めてしばらくすれば退院すればよい、そう考えていた。
しかし、枕元に置いてあった入院計画書にはしっかりと「医療保護入院」と書いてあった。任意入院でなく医療保護入院にがくぜんとし、ぼうぜんとしていた。
動揺し、混乱した。なぜ、こうも動揺するのかというと・・・・・・
「任意入院」「保護入院」「措置入院」に関してはこちらに書いています
⇒強制入院、医療保護入院でまた保護室へ 精神病院体験談
医療保護入院は主治医と保護者(妻)の許可がでないと退院できないのだ。そして、たいていはワンクール、3か月間入院させられる。3か月間、異常な患者たちと閉鎖病棟で時をすごさなければならないのだ。
保護室では時間が経たない



保護室に入った時は記憶がないくらいに酔っていた。しかし、今は酒が抜けて完全にシラフだ。そしてずっと、アルコール離脱症状の手の震えや不安感に襲われている。
どのくらい経ったのだろうか。当時の瀬野川病院の保護室には時計がなかったため、いつまでたっても時がたたない。
いま、10分経ったのか。
1時間経ったのか。
それとも2時間くらい経ったのだろうか。
アルコール離脱症状が出てくる中、時間がわからないのは非常につらい。
酒を追加したい。
タバコが吸いたい。
喉が渇いた、水が飲みたい。
じっとしているのがつらい。
早く飯の時間がこないのか。
そうしたらタバコが吸えるのに。
時が無限に感じてた・・・・・・
精神科に医療保護入院。酒を飲みすぎ後悔も、記憶がない まとめ
- 患者同士で聞いた話では、自ら診察に来て自ら入院した人は、ほぼ任意入院で、1ヵ月くらいしたら次々と退院していきました。
- 私も自ら病院に診察に来たのですが、あまりにも酔いすぎて意識がとぎれとぎれだったせいか、医療保護入院となってしましました。
- 医療保護入院では自ら退院することはできず、最低3か月の長い長い入院生活が待ち構えているのでした。
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