●精神病院からの退院
8月6日を過ぎた頃、精神病院での盆踊り大会が開催された。患者と看護師による盆踊り、買い食い、カラオケなどもあり。閉鎖病棟では滅多にない楽しいイベントだった。
それが終わると、3か月の服務をやっと終えた私は退院になる。
メンヘラ男。アルコール依存症歴11年、25歳でうつ病、39歳でアルコール依存症とうつ病を再発、さらに双極性障害になりメンヘラに。断酒に失敗し広島の瀬野川病院、呉みどりヶ丘病院などの精神病院・閉鎖病棟に10回も入院。精神障害者手帳2級、障害年金2級。断酒・入院・うつの体験談、どうやって飲まないで生きていくかのノウハウを書いていきます。
※なお、筆者の体験談は事実のままですが、断酒会の事例は架空の人物ものとします
精神病院の盆踊り大会
わが瀬野川病院で、盆踊り大会が開催された。まだ夏の日差しが照りつける8月の盆の時期。「夕方6時に運動場に集合」とのこと。
閉鎖病棟から出ると、まだ陽は残っておりじりじりと肌をやきつける。何ヶ所かある運動場の出入り口には、患者が脱走しないよう腕っぷしの強そうな看護師が見張り番として張り付いていた。
そこへ、病棟から出てきた患者たちがワラワラと集合してくる。閉鎖病棟に何ヶ月、何年も入院している患者たちだ。
精神病患者がまるでゾンビのように出てくる
ゾロゾロと出てきた入院患者は、足元はおぼつかない、目は宙をただよい、あるいはまわりを睨みつけている。猫背で前かがみ、腹はポコンと飛び出し、顔を前につきだし、手はだらんと垂れ下げた、精神科でよく見る歩き方の患者たち。
そんな患者がじりじりと何十体も歩いてくる。まるで墓場からはいずりでてきたように見えた。
各病棟のわりとまともな患者が、中央で白いプラカードをかかげている。プラカードには「R1」「R2」「R3」「R4」「C4」「C5」「デイ・ケア」などと記入されており、患者は病棟ごとに2列に並んだ。ざっと400~500名の精神病患者たちがずらりと整列するのだ。
患者たちが数百体もうごめくと、USJのハロウィン・ホラーナイトも真っ青な恐怖感がしなくもない。もちろん、私もその中のひとりだ。
何ヶ月ぶりに外の空気を吸った患者も多いだろう。いささか興奮気味になっている患者も多く、知り合いと楽しそうに会話をしたり、別病棟の患者と話しをしたり、ぶつぶつと独り言を言ったり、あるいはじっと無言で黙っている患者もいた。
パニック障害?
急に、遠くから女性の叫び声があがった。叫び声というか、わめき声というか。
その方向に目をやると、50代くらいの女性がわめきながら発狂していた。すぐに4人の看護師たちが取り囲み、彼女は取り押さえられた。そして用意された車椅子に乗せられ、またたくまに退場していった。
しかし、見慣れているのか、まわりの患者たちは振り向きもしない。
瀬野川病院 旧院長のあいさつ
そんなあたりまえの光景には誰も目もくれず、やがて院長先生の挨拶が始まった。瀬野川病院は、今は息子さんが院長だが、当時は先代でタバコも許可されていた。
当日は8月6日原爆の日が少し過ぎた頃。(ここは広島)
院長は「8月6日の原爆を知ってるかな?」と、マイクを通して質問してきた。院長の問いかけは、「原爆を体験した人はいるか?」の意味だった。
患者の何人かが手を挙げる。
ところがその患者たちは40歳か50歳くらい、もちろん原爆など体験していない。ただ単に「8月6日は原爆の日」と知っている、ただそれだけだった。もうおかしくなっているのだろう。
盆踊り大会とカラオケ
事前に練習していた盆踊りが始まる。「♪ 月が~出た出~た~」とかいうのを何曲か、浴衣姿の看護師と患者が舞台のまわりを円を描いて回っている。
ひとしきり踊りがおわると、会食、というか買い食いの時間になる。あらかじめ配られた「うどん」とか「ホットドック」とか「スナック」と書かれたチケットを、舞台から離れた屋台風のテントで食べ物と交換して食べる。おやつやスナックに飢えている患者たちは、われ先にと食べ物をもらいに走り出す。
プログラムにはカラオケ大会も用意してあり、私は「何でもやってやれ、精神病院で恥かいてもなんともない」と、事前に予約を入れておいた。
カラオケボックスにあるような本格波のカラオケ機が舞台にセットされる。私は大トリの一つ前で、400人の観衆の見ている中で熱唱した。だれもが知っている、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」を選んだ。
素面(シラフ)で400人の前はさすがに緊張した。が、そこそこ歌えたと思う。拍手喝采がきたので、少しうれしかった。
大トリは、おじさんが口紅塗って女性の浴衣姿で、おカマのふりをして歌っていたが、これも結構うけていた。本当にオカマだったのかも知れない。
わりと楽しい、重度の精神病患者だけの盆踊り大会だった・・・・・・。
精神病院・閉鎖病棟を退院
盆踊り大会が終わり、次の週が閉鎖病棟からの退院日になっていた。3か月の服務、というか無駄な期間がやっと終わる。
アルコール離脱症状の入院当初は苦しかったが、酒が抜けるにつれ、楽になっていった。振り返ってみると、たくさんの友達ができた。おかしな患者もたくさんいた。おもしろい患者もたくさんい。いろいろな精神病患者が集合している、それはこの瀬野川病院が広島一有名な精神病院だから。
勉強会にもすべて出席して、アルコールの酒害についてたくさん勉強した。家族にはたくさん迷惑をかけた。もう二度と酒を飲まないよう、一日一日を努力して、断酒していきたいと思った。この時ばかりは。
退院日、嫁さんが車で迎えに来た。「もう何度きたかわからん!」とぶつぶつ文句をいっている。
私は帰りの車のなかで、自由になれたことの解放感を存分に味わっていた・・・・・・
・・・・・・ アルコール依存症 精神病院・入院体験談2(完) ・・・・・・
永くのご愛読、ありがとうございました。
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