精神病院脱走記(1) ついに閉鎖病棟を脱走した体験談

精神病院・閉鎖病棟・脱走記

今回は、精神病院の閉鎖病棟から脱走した体験談です。ですます調はやめます。

これは5年ほど前の話。

長女ナナの高校受験へ向けての一年、妻に「今年だけは何があっても飲まないでくれ」と言われ続けてきたのだが・・・・・・

断酒
断酒

私は、何年も断酒しつづけたあげく、断酒に対しての気持ちが切れていた。何年か断酒を頑張っていたが、なんか疲れてしまったというか、仕事のストレスを酒以外でうまく発散できてなかった。

断酒を頑張る気持ち」というのが失せていたが、それでもなんとか断酒は続けていた。ところがある日、職場の派遣先のオッサンと大喧嘩した。上司であれば我慢するところであったが、たかが派遣のオジサン。こちらも派遣。

立場の上下はなかった。

そいつと大喧嘩したのがきっかけで、むしゃくしゃして家でスリップした。ふだんあまりキレることのない私がブチ切れてしまい、それがきっかけで再飲酒を始めた。長く断酒していたのが再飲酒したので、プッツン糸が切れたように飲み上げた。

それはひどい飲み方で、「酒を飲んでたしなむ」なんていうイキなものではなかった。安焼酎を一気に胃に流し込み「エタノール溶液を血中に入れ脳の前頭葉部分を麻痺させる」というような、完全に薬物依存の飲み方だった。

●筆者筆者

 


メンヘラ男。アルコール依存症歴11年、25歳でうつ病、39歳でアルコール依存症とうつ病を再発、さらに双極性障害になりメンヘラに。断酒に失敗し広島の瀬野川病院、呉みどりヶ丘病院などの精神病院・閉鎖病棟に10回も入院。精神障害者手帳2級、障害年金2級。断酒・入院・うつの体験談、どうやって飲まないで生きていくかのノウハウを書いていきます。

※なお、筆者の体験談は事実のままですが、断酒会の事例は架空の人物ものとします

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飢えたようにアルコールをむさぼる

アルコール依存症がスリップ
アルコール依存症がスリップ

25%エタノール溶液を一気に胃に流し込む

2,3時間たち、アルコールの血中濃度が下がれば手が震え、まるで「喉が渇いたら水が飲みたい」というように酒が欲しいと感じる。本能のような飲酒欲求が高まるたびに追い飲みし、酒の在庫が無くなれば歩いて100メートルほどの商店へ昼夜関係なく買いに行く。

昼の店が開いている時は 「いいとも」 の一升紙パックを買う。

夜は閉まっているが、自動販売機がこうこうと道を照らしているので、いいともワンカップを3本くらい買う。個人商店なので、夜でも酒が買える設定になっているのだ

酒の自動販売機
酒の自動販売機
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一週間の連続飲酒の後、病院へ向かう

一週間くらい連続飲酒した。こうなるとどうにも止まらないのは自分も妻も分かっているため、最終的に広島で一番有名な瀬野川病院へ連れていかれるはめになった。

自分でもちゃんと「このままではヤバイ、止められない」と、酔いながら考えていた。おとなしく病院に連れていかれ、スリップの原因となった派遣会社は辞め、2か月ほど入院した。

入院直前は酒が切れかかっていたため、任意入院でいけるつもりだった。しかし、病院までの車中、運転手である妻にわがままをいい、そこらのローソンでワンカップ焼酎2本を買ってもらった

ワンカップ焼酎
ワンカップ焼酎

妻も、まるで「死刑囚にタバコをわたす」ような感じで、私に焼酎を渡してくれた。瀬野川病院まで、あと30分もない。ワンカップ焼酎2本を一気飲みした。その結果どうなったかというと。

その結果、診察時に意識がほとんど無い状態となり、「任意入院」ではなく「医療保護入院」との診断がでた。今は春・・・・・・退院したら、季節はほぼ夏。

退院して、こんどこそは、と頑張る。

娘たちを海水浴に連れていくなど、なんとか父親らしいことをしてみた。

秋になり、人づてで 「サービス付き高齢者向け住宅」(老人ホームのような、高齢者介護施設)の施設長という、ありがたい就職先を紹介してもらい、そこで働きはじめた。

ところが・・・・・・

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まとめ 精神病院脱走記(1) ついに閉鎖病棟を脱走した体験談

事件としては、これが最後の事件となります。しかし、とんでもないことをやらかしたようです。

とにかく妻はあきれ果て、これ以降入院になると「一日8000円の入院給付金で月に24万円。入院費は5万円くらいだから、月20万円稼ぎにいってきます」というと「ああ、助かるわー、いってらっしゃい」などと、開き直ってました。

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