(精神病院からの脱走体験談、つづき)
3月10日金曜、昼食後、 ついに 「センター活動へ行きたい※」 との旨を看護師へ伝えた。ふつうは午後2時からなのだが、ここの病棟は1時から出てもいいとのことだった。したがって1時から3時30分まで、単独行動ができる。
※センター活動:病院の敷地内にトレーニングジムがつくってあり、患者がなまった身体を鍛えることができるようになっている。そこをセンターと呼んでいた。閉鎖病棟なのに単独行動できるため、医者から信頼され、かつ許可がいる。
定刻に帰院せず、脱走が病棟にバレるまで2時間30分もある。とてつもないチャンスがきた・・・・・・
私は平静を装って、センター活動の記録用紙に書き込んだ。一万円札3枚とキャシュカード、クレジットカードを隠し持ち、閉鎖病棟から堂々と外へ出た。



メンヘラ男。アルコール依存症歴11年、25歳でうつ病、39歳でアルコール依存症とうつ病を再発、さらに双極性障害になりメンヘラに。断酒に失敗し広島の瀬野川病院、呉みどりヶ丘病院などの精神病院・閉鎖病棟に10回も入院。精神障害者手帳2級、障害年金2級。断酒・入院・うつの体験談、どうやって飲まないで生きていくかのノウハウを書いていきます。
※なお、筆者の体験談は事実のままですが、断酒会の事例は架空の人物ものとします
精神科・閉鎖病棟からの脱走
センター活動に行くには、下図のようなルートを通ることになる。



本来は右側の敷地内の道を通るのだが、脱走するのは左側だ。病院を出てすぐに敷地外に出るのだ。
黒、青と書いているのは、リバーシブルのダウンジャケットを表・裏と着替えながら職員の目をごまかすため。敷地外とはいっても病院から見える道を通るため、できるだけバレないようにするためだ。見た目はこんな感じ。
●脱走用のリバーシブルジャケット






絵ではそうでもないが、実際の印象は表裏でまったく違う。
病院を出るまでは普通の外来を通るのだが、いかにも外来患者のように、威勢堂々とふるまう。「今、診察が終わったので帰る」という顔をして、正々堂々と病院の玄関を出た。
まだ3月の初旬、少し肌寒かった。ダウンジャケットを着ても不自然はなかった。
玄関を出たら、地図の道筋を通り、ダウンジャケットを表に裏にと交互に着替えながら駅を目指す。病院のそばは普通に歩いて、離れたらもう駆け足だ。
脱走に成功、山陽本線へ



病院のそばのJR山陽本線・中野東駅についた。隣のセブンイレブンに入り、病院の看護師がいないのを確認する。そして、当時出始めて、いつか飲んでみたかった 「ストロング・チューハイ9%」とワンカップ焼酎25度を購入した。
隣の中野東の駅に向かうと、表示版に(錦帯橋で有名な)「岩国行き」 が5分後に到着するところだった。グッドタイミングだ。急いで広島駅行きの切符を買った。
駅のホームの端に行き、チューハイ9%のほうを開けて飲んだ。久しぶりの酒は美味かった。しかもアルコール9%は一気に飲むと、けっこう酔う。
ふと気が付くと、ホーム監視用カメラのすぐ目の前で、カメラの真正面を向いて飲んでいた。これでは鉄道警察にモロバレだ。思わずカメラに背中を向けた。



列車が来た。真昼なのでわりと空席があり、そのひとつに座った。
「岩国行き」の岩国市は、広島県のすぐ左となりの山口県になる。広島県警の管轄外になるため、このまま乗っていてもいいのだが・・・・・・しかし、到着まで1時間はかかるっぽい。もし病院から警察へ行方不明者捜索願いが出され、警察から鉄道警察に連絡される可能性も考えた。となるとヤバイ。
やはり広島駅で降りよう。そして新幹線で、博多に高飛びしよう・・・・・・
広島駅まで逃走



20分ほどで広島駅に着いた。駅構内は、サラリーマンやら外国人観光客でごった返していた。
これなら、追っ手がきてもそうそうバレることはないだろう。しかし念のため、駅構内の柱の陰で、リバーシブルのダウンを裏返した。
今から向かう博多には、30年近い付き合いの高校時代に仲がよかった同級生がいる。閉鎖病棟ではスマホは持てないので彼の電話番号は分からないが、会社名はわかる。その会社の番号をNTT・104で聞けば連絡はとれるだろう。2~3日は泊めてくれるだろう。
話はそれるが、そいつは12年も付き合った彼女と結婚した。
しかし彼は、昔っから女に手を出すタチで、W不倫(相手も人妻)がバレてしまい、1年かそこらで離婚してしまった。慰謝料2人分で400万円か800万円かだったらしいが、年収1000万プレーヤーの彼は平気な顔をしていた。今もBMWを乗り回しているハズだ。
それからその彼女と再婚したのかどうかは知らないが、ムリやり頼めば泊めてくれるのは間違いない。そんなダチだ。
そこから、親父の住んでいる熊本県へ移動しよう。なんとなく、そうすることに決めた。
とうとう精神科からの脱走に成功、博多駅に到着
急いでみどりの窓口へ行き、博多行きの一番早い 「のぞみ」 はあるか聞いた。窓口担当が 「あと15分くらいで来ますよ。空席もあります」 とのことで、すぐに料金8000円を支払った。
みどりの窓口の隣のセブンイレブンで、ビールと、またストロングチューハイ9%を購入した。9%のチューハイは結構美味いし、結構酔うので気に入った。



下りのホームに降り、しばらくするとやって来た「700N系のぞみ」の自由席に座った。
これで「自由」だ!
もう、あのきゅうくつな閉鎖病棟に縛られなくてすむ。県警に捜索願いを出されていても、県外にさえ脱出すればもう探せまい。
ビールを空けてごくごくと喉に流し込んだ。最高に美味かった。
急速にスピードをあげる車窓の景色を目に焼き付けようとした。なぜなら、これで広島とはしばらくおサラバだからだ。



1時間くらい経っただろうか、小倉を経由して博多駅に着いた。さすがに博多駅は大きい。博多の繁華街、中洲・天神に行こうとしたのだが、生来の方向オンチにストロングチューハイでかなり酔っており、別の方向へ歩いていったらしい。
歩いていった先に繁華街はなかったが、古い昭和な商店街に出た。町名はわからなかったが、こういう古い街並みは好きだ。とりあえず、今晩の宿、なるだけ安いカプセルホテルを探したが、見つからなかった。カプセルホテルは広島の流川と同じで、中洲・天神にしかないのだろう。
しばらく散策してるとビジネスホテルを見つけたが、7,500円と高かった。そこはやめて別のを探すと、5,000円くらいのホテルを見つけた。ここにしよう。
昔の上司の名前、よくありがちな「山田 〇」を偽名にしてチェックインした。いかにもビジネスホテルといった簡素な部屋だったが、病院とまったく違いフカフカなベッドと枕だった。良い加減で酔っていて、ゴロリとベッドに横になった。気持ち良かった。
今ごろ病院では大騒ぎになっているんだろうな、とは思ったが、考えないことにした。
ホテルのすぐ目の前に、パチンコ屋があった。明日、新装開店らしく、今日は店休日だった。パチスロは好きなので、明日の朝、並んでみようと思った。
その前に、変装、というか、髪型だけは変えておこうと、美容室を探した・・・・・・
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