妻・義母・私は義理のイトコの車で、福岡県から広島県へと帰った。全員徹夜だった。悪いことをしたな、と思った。
途中、サービスエリアに寄って、大きな皿うどんを食べた。長崎県のやつだ。食べ物を口にしたのは10日ぶりくらいだ。脱走直後ににぎり寿司を食べてから、それから一切なにも食べていなかった。酒のカロリーだけで生きていた。
脱走中は「酔いが覚めたら焼酎を一気飲み」を繰り返していたため、食欲はわかなかった。アル中はこうやって栄養失調で死ぬのかな、と、シラフに戻って考えた。
10日ぶりの食事、皿うどんはとても美味しく感じられた。
メンヘラ男。アルコール依存症歴11年、25歳でうつ病、39歳でアルコール依存症とうつ病を再発、さらに双極性障害になりメンヘラに。断酒に失敗し広島の瀬野川病院、呉みどりヶ丘病院などの精神病院・閉鎖病棟に10回も入院。精神障害者手帳2級、障害年金2級。断酒・入院・うつの体験談、どうやって飲まないで生きていくかのノウハウを書いていきます。
※なお、筆者の体験談は事実のままですが、断酒会の事例は架空の人物ものとします
脱走したのに再入院可能とは
食後のタバコを吸おうとしたが、「また発作が起こる!」と皆に止められた。警察署で倒れて救急車で運ばれ、それから半日以上は吸っていない。つらいが、これ以上迷惑をかけられない。我慢した。
山陽道を上り、広島インターの次のインターを降りるとすぐ、脱院した病院に着いた。
さすがに徹夜で広島<->福岡間を車で往復してもらった義理のイトコには丁寧にお礼を言って、車で寝てもらった。
そして、妻と義母とで診察を待った。財布にパンパンに詰まった6,000円を超える小銭を妻に渡すと、すごく喜んで、義母と2人で数え始めた。女性は銭のかたまりに弱いのか。
私は病院に無断で外出、しかも脱走したため、当然「あなたは強制退院です。出入り禁止です。もう二度とこの病院には入れません」というのを期待していた。
しかし、その期待にまったく反し、「再入院可能です」とのことだった。ものすごくがっかりした。
酒は切れていて、外来の担当医も「酒臭くはないですね」といった。
しかし、「任意入院契約書」を書く際に、たまたま発作が始まってしまった。全身の筋肉が硬直して動かなくなってしまった。自分の名前すら書けない。
結局「医療保護入院」扱いとなり、3月18日、元のR2慢性期病棟へ戻されたのだった・・・・・・
結局、閉鎖病棟からの脱走は失敗
これで、約10日間にわたる逃亡記は終わった。
精神病院からの脱走は失敗に終わった。
逃亡中、病院は大騒動、職員・主治医の方、家族ににかなりの迷惑をかけたらしい。
慢性期病棟の実態
私が脱走した閉鎖病棟の慢性期病棟について。
慢性期病棟は急性期病棟と違って、ヤバイ患者がごろごろいる。
たとえば、自分の母親というのは一般的に性的対象にならない。それが黒木瞳であってもだ。性的対象と考えただけでもゾッとする。まったく考えられない。
ところが、同じ病棟にいた身長190センチ近いA氏は、母親を強〇したらしい。自分が生んだ息子にそんなことをされては、たまったものじゃないだろう。精神病院に突っ込まれるのも仕方がないと思う。
そのA氏は40代にもなるくせに甘ったれで、いつも誰か看護師に構ってもらわないと機嫌が悪くなる。機嫌が悪くなると、物に当たり始める。病室のドアをおもいっきり蹴ったり、壁を殴ったりするのだ。巨体なので、誰にも止められない。
そうなったらもう触らぬ神、いや触らぬ獣にたたりなしである。
男性看護師が怒鳴り散らすか、女性看護師がなだめてやっと止まる。彼は「パーソナリティ障害」と診断されていた。
別のM氏は未成年の女子高生を〇姦したらしい。
S氏は殺人犯。
シャブをやってたヤツなんかゴロゴロいる。
しかもこれは氷山の一角だ。
違法性のないただのアル中が、こんな病棟から逃げ出したくなるのも無理のない話ではないか・・・・・・
――――― 完 ―――――
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