スリップ(再飲酒)した原因は自分の送別会 アル中の閉鎖病棟体験談3-1

スリップ(再飲酒)した原因は自分の送別会

私は、25年勤めた会社をアルコール依存症で入院を繰り返して退職になり、2社目で汗水をながしていた。

その、従業員1,000人規模の会社にはサーバーやパソコンが山ほどあったものの「IT担当者」がいなかった。私はエンジニアだったため、1年経ったのち、IT担当者に抜擢された。

しかし介護業界はシステム関係にまったく価値を感じておらず、私の給料は手取りで40代たったの13万円だった。まるでコンビニのバイトだ。

富士通やNECであれば月給40万円、50万円が相場であろうエンジニア的な仕事を、13万円で2年頑張った。しかし、このままでは娘を大学にやれない。妻に苦労ばかりかけると思い、そこを辞めて新しい職場をさがすことにした。手取りが少しはマシになるだろう。

その頃、「3年」という私にしては長期間、断酒がつづいていた。同僚や上司に「肝臓が悪いので酒が飲めない」であることをしっかりカミングアウトしていた。(実際は肝臓はまったく悪くなく、アルコール依存症なだけなのだが)そのため飲み会に呼ばれはするものの、酒をすすめられることはなかった。

●私自身の送別会

親交のあった自治会会長
親交のあった自治会会長

会社のマロさんとはお別れじゃが、個人的におつきあいをしたいのう・・・・・・

という、自治会長の言葉がとてもうれしかった。

会社は、地元の自治会と交流があった。介護の世界は、どうしても地元との付き合いが必要なのだ。御年70才の自治会長に認められている感が、とてもうれしい。その自治会長が、送別会を催してくれたのだ。

自分の送別会なので、断るわけにもいかない。送別会には、自治会長とその若い衆3人が来てくれるという。うちの会社からは、私のほかは2名だ。こじんまりとした送別会だった。

給料が安すぎるから辞める」といったものだから、会社での送別会はなかった。

●筆者筆者

 


メンヘラ男。アルコール依存症歴11年、25歳でうつ病、39歳でアルコール依存症とうつ病を再発、さらに双極性障害になりメンヘラに。断酒に失敗し広島の瀬野川病院、呉みどりヶ丘病院などの精神病院・閉鎖病棟に10回も入院。精神障害者手帳2級、障害年金2級。断酒・入院・うつの体験談、どうやって飲まないで生きていくかのノウハウを書いていきます。

※なお、筆者の体験談は事実のままですが、断酒会の事例は架空の人物ものとします

マンション管理室で送別会

送別会があるマンション管理人室
送別会があるマンション管理人室

そしてそれは開催された。

31階建て高層マンションの2階、会議室。たたみ、茶色の質素なテーブルと座ぶとんの和室。本棚と、独身部屋にあるような小さな冷蔵庫、窓が2つ。トイレ。

マンション管理組合だとかがちょっとした打ち合わせに使うのだろうか。そこで仕出しを持ちより、「私が主人公」の送別会がひらかれた

3月18日、陽がおちるとスーツでも肌寒い、そんな日だった。もちろんうちの社員たちは、私がアルコールを飲めないことは知っていた。そこでいちばんエライ長老、自治会長にも「ドクターストップで、酒が飲めない」旨を伝えておいた

ところがその最も重要な情報は、「若い衆の買い出し担当」係にまったく伝わっていなかった。

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スリップ(再飲酒)の原因、飲み物は酒しかなかった

飲み物は酒のみ
飲み物は酒のみ

和室の各個人個人の前に置かれた、ちょっと高給な仕出し。

自治会の買い出し担当係が「どうだ」といわんばかりに広げたスーパーの白いビニールからは、ビール4箱、日本酒が数本、そして焼酎も数本。酒だらけ。いや、酒だけだった。

しかし、特に気には留めなかった。断酒の自信があったから。それは、3年間、断酒し続けたから。会社の飲みには全部出席し、お茶とコーラで済ませて帰る。3年ほど、それで何も問題は起きなかった。

「これまでと同様、喰ってさっさと帰ればいい」

そのくらいにしか考えていなかった。

しかしそれは慢心だった。断酒の自信が、逆にアダとなった。仕出しは酒飲み用に、とても塩辛い味付けだと気づくまで。そして、長老がコップ(小)にビール半分ついで、「このくらいエエじゃろ」と勧めるまで

ビールが欲しくなる塩辛い仕出しばかり

塩辛い仕出し
塩辛い仕出し

仕出しの茶色いトコブシは美味しく煮込んであったが、酒呑み用で塩辛かった。

立派なホタテ貝の煮付けも旨かったが、やはり塩辛かった。

くるま海老を赤く塩焼きしたヤツも、やはり塩辛かった。


1時間ほどは、楽しい時をすごした。しかし、飲むものがまったくないため、喉が激しく渇いてきた。お店なら、お茶でも水でも注文すればよい。しかし、ここの水源地はトイレしかなかった。

「何かで、喉をうるおしたい」

スリップ(再飲酒)の誘惑

自治会長が差し出したビール
自治会長が差し出したビール

・・・・・・酔っぱらった長老がそれを察してか、コップ(小)に半分ほどのビールを注ぎ、ぼくに差し出してきた。

自治会長「このくらい、エエじゃろう」

自治会長は酔っぱらって、ぼくが「酒を全く飲めない」と言ったことを、すっかり忘れたらしい。場の空気は70歳の長老に支配され、もう 「飲め飲め」 モードになっていた

酒飲み用に塩辛い仕出しに、喉の渇きを1時間はがまんしていた。でも、何かで喉をうるおしたくて仕方なかった。目の前差し出されたビールに、ぐらついた。

今や3年断酒中、もうすぐ4年目だ。たったのビール半分で、今までの苦労がすべて泡となる。しかし強烈に喉が渇いた。なんでもいいから飲みたい。

他の7人はワイワイと 「今すぐに飲め」 という。「アルコール依存症だから飲んではいけない」 ではなく、「肝臓が悪いからドクターストップ」だとと真実を隠していたのも拍車をかけていた。「肝臓が悪くても、ひとくちくらい大丈夫じゃろう」そんな空気だった。

アルコール依存症だとカミングアウトしておけばよかった。しかし、みな酔っ払って、すでに時遅しの状況になっていた。

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ビールを強引に勧められついにスリップ

ビールを飲む
ビールを飲む

ついに・・・・・・手を出してしまった。考えると、何もかも言い訳にしていた。「喉が渇いてたまらない」「若い衆がソフトドリンクを買ってこなかった」「部屋に水道がない」何もかも言いわけにしていた。コップを手に取り、大衆の望み通り 「ごくり」 と口に含んだ。

3年ぶりに飲んだ。スリップ(再飲酒)してしまった。すぐに、大罪を犯した気分になった。そしてビールのえぐみとともに、のどから胃が火照ってきた。

久しぶりのビールはさぞや旨かろう、と思うでしょうが、実はそうでもない。

「こんなもんだったか」

そう、アルコール依存症者にとって、酒は特に美味いものではない。酒は単に酔っ払うための、心地よい泥酔感を味わうための、薬物にすぎない

断酒中の再飲酒は、飲みだしたら止まらない

そしてコップ半分のビールでやめとけばよいものを、アル中は必ず次のように考える。

コップ1杯も10杯も同じこと。スリップしたことには変わりない

それからは、何杯飲んだか覚えていない。3年我慢していた酒を、ダムが崩壊したかのように飲んだ。
その後すぐにブラックアウトした。

※ブラックアウト=飲んで記憶がなくなること

家が台風のような大嵐に

台風の様な大嵐
台風の様な大嵐

次の日の朝、二日酔いのまま目が覚めた。そして私が飲んでしまい泥酔したことで、台風のように家が大嵐になった。

嫁や義母はおおいに立腹、立腹どころか激昴、過去の精神病院への入院・惨事がフラシュバックし、感情のコントロールができなくなっていた。

信じていたのに裏切った、子どもへの悪影響、今後はどうするつもりなのか、とにかく責められ続けた・・・・・・

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