翌日の朝。
手の震えなどの肉体的なアルコール離脱症状は、もうほとんど消えていた。
主治医「病棟が変わることになりましたんで、荷物をまとめて準備しておいてください」
私(きた。やっときた。この地獄の保護室から抜け出せる・・・・・・)
そして鉄格子の保護室から、普通の閉鎖病棟へ移動することになる。
メンヘラ男。アルコール依存症歴11年、25歳でうつ病、39歳でアルコール依存症とうつ病を再発、さらに双極性障害になりメンヘラに。断酒に失敗し広島の瀬野川病院、呉みどりヶ丘病院などの精神病院・閉鎖病棟に10回も入院。精神障害者手帳2級、障害年金2級。断酒・入院・うつの体験談、どうやって飲まないで生きていくかのノウハウを書いていきます。
※なお、筆者の体験談は事実のままですが、断酒会の事例は架空の人物ものとします
精神科の閉鎖病棟
私が入院している瀬野川病院の閉鎖病棟は、1階のR1病棟 ~ 4階のR4病棟まである。そして女性専用のH1病棟。R3病棟とR4病棟は男女混合だ。それに加え、開放病棟のC4、C5病棟がある。
5階は体育館になっており、ネットをはればソフトバレーやバトミントンもできるようになっている。
体育館の奥には図書コーナーもあり、わりと豊富にマンガや小説が揃っている。小説は貸出可能だが、マンガは借りれない。
作業療法の時間以外は、閉鎖病棟のすべての扉にロックがかかっており、基本、患者は病棟の中だけで過ごさねばならない。週に2回、作業療法で軽スポーツがある時だけ、体育館へ行けるのだ。運動するもよし、マンガを読むもよし、運動した後小説を借りるのもよし。
持ち物は、財布はもちろん持てないしスマホも持てない。ゲーム機も持ち込み禁止。
マンガや本は持って入れる。ただし、大人向けの本はダメで、ページをめくってチェックされる。ただ、C4、C5は開放病棟なので財布を持ち、自由に外出ができる。
病院の外にはデイケアなどの施設がたくさんあり、社会復帰できない人はそこに住んだり通ったりする。通っている人を見かけたが、廃人のような顔をしていた。
私は異動のため、少ない荷物を急いでまとめた。
閉鎖病棟へ移動
看護師「マロさん、準備はできました?いきますよ」
私は黒いボストンバッグを持ち、看護師についていく。
詰所の前を通り、大きなテレビのあるR1病棟のデイルームを通り、エレベーターに到着した。看護師はたくさん鍵のついたキーホルダーをポケットから出し、そのうち一つをエレベーターのボタンの下にある鍵穴に刺した。
エレベーターの「上へ」のランプがついた。
私(エレベーターを動かすのに、鍵がいるのか。これだと逃げだしてもエレベーターは使えないな・・・・・・)
看護師は「4」のボタンを押し、エレベーターは4階に停まった。扉が開き、エレベーターホールに出た。窓からすぐ目の前に、緑色の葉がおいしげる山が見える。すぐ右手に、くもりガラスのドア。
看護師はまたポケットからキーホルダーを取り出し、車のキーのような、持ち手が黒いキーを出すと、壁の白いパネルにあてる。するとドアがウィーンと開いた。
私(なんと、キーでドアを開けるのか。しかも電子式か・・・・・・こりゃますます脱走は難しそうだな)
ドアを開けると、4階のR4病棟のデイルームになっていた。50インチくらいの大型テレビの前に、ソファーやテーブル、イスが並べてある。向こうの壁に、「カレンダー」「今月の献立予定」「作業療法の予定」などが何枚か貼ってあった。
今の季節は夏。
「ノロウイルスが流行っています。手洗いとうがいを」の紙切れは、もう半年以上貼ってあるようだった。
精神科の閉鎖病棟の患者たち
デイルームでは、精神科の閉鎖病棟の患者たちが10人以上、ソファーやテーブルにつき、大型液晶テレビに見入っていた。
いや、そう見えただけでした。しっかりテレビを観ている患者は2~3人。ボーっとしたうつろな目つきで、あてもなくただテレビに視点を合わせているだけの患者が数人。ただただ天井や空中を見つめている患者もいる。
奥の廊下には「多動」という、身体を前後に繰り返し揺らし続ける患者。
(多動 NCNP病院国立精神・神経医療研究センター)
毎日同じ景色なのにずっと窓の外を見つめている患者。ひとりでポリポリお菓子を食べ続ける患者。
水中毒なのか、廊下の洗面台の水道の水をひたすら飲み続ける患者。(水中毒 看護roo!)
男女混合とはいえ、女性はオバサンばかりでがっかりした。喋れそうな人はしっかりテレビを観てる患者くらいだった。
精神科の閉鎖病棟の重くよどんだ空気が、一歩踏み出すのをためらわせる。しかしよく考えたら、以前入院した時と同じじゃないか。階は違うが。
勇気を振り絞って前に進んだ。何人かがぼくをチラリ見て、すぐ視線をテレビに戻しす。突然、遠くでテレビを観ていた、車イスの人が声を発した。
「おいッ、マロちゃんじゃないか!」
また旧知の知人と再会
私「ああ、コジマさん!(仮名)」
前に入院した時、3階でいろいろお世話になったオジサンだ。50代後半だと思う。よく喋ったのでよく覚えている。
コジマさんはパーキンソンで足が不自由だが、頭はシャンとしていた。私は精神科の閉鎖病棟の患者たち、悪く言えば「気がふれた」患者の集団の中に入れられる、という不安感があった。
しかし、まともな知り合いに再会して、少し安心した。
私「コジマさん、お元気ですか。残念なことに戻りました・・・・・・」
コジマ「ええよ、ええよ、ゆっくりしていきんさい」
温かい言葉だった。
精神科の閉鎖病棟とは、その患者たちの実態 精神病院体験談(1-15)
- 閉鎖病棟の各ドアにはすべて鍵がかけられています。脱出は不可能です。
- エレベーターも鍵がないと動かないようになっており、たとえ強化ガラスのドアを割っても、エレベーターには乗れない仕組みになっています。
- もし火災などでエレベーターが止まったら、病棟へ入って反対側の階段まで行かなければなりません。生存できるのか、怖い仕組みになっています。
- 瀬野川病院の場合、患者は、ごちゃまぜです。アルコール依存症、薬物依存、統合失調症、双極性障害、発達障害、適応障害・・・・・・そのため患者同士でよく揉め事がおきます。
- 口喧嘩はもちろん、看護師や医師を殴る人もいました
- そのため入院する場合、危険な患者のそばによらないようにしたほうが安全です。
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