アルコール依存症は、ほとんど酔ったまま家族に精神病院に連れてこられるため、たいてい保護室にぶちこまれます。
●保護室とは
保護室は、精神病患者を隔離する目的の病室です。患者本人、または周囲に危険が及ぶ可能性が大きい場合に保護室で隔離されます。(精神保健福祉法により規定)
●アルコール離脱症状
大量飲酒、または連続飲酒をしたときに、血中アルコール濃度が減ったときに起こる症状。振戦(手のふるえ)、発汗、悪寒、不安、イライラ、焦燥感、入眠できないなどの症状が起きます。
これら不快な症状は、アルコールを追加する治まります。そのため、次々と飲酒してしまうという悪循環になります。アルコール離脱症状が起こるということは、アルコール依存症の入口に来ているため、要注意です。
●この記事に書いてあること
閉鎖病棟・保護室の生活、アルコール離脱症状、アル中はごはんが食べられないなど、保護室のつらい、苦しい経験を書いています。
メンヘラ男。アルコール依存症歴11年、25歳でうつ病、39歳でアルコール依存症とうつ病を再発、さらに双極性障害になりメンヘラに。断酒に失敗し広島の瀬野川病院、呉みどりヶ丘病院などの精神病院・閉鎖病棟に10回も入院。精神障害者手帳2級、障害年金2級。断酒・入院・うつの体験談、どうやって飲まないで生きていくかのノウハウを書いていきます。
※なお、筆者の体験談は事実のままですが、断酒会の事例は架空の人物ものとします
保護室でのアルコール離脱症状はつらい、苦しい
手足はまだアルコール離脱症状でプルプルと震え、汗もびっしょりかいている。一人ぼっちで保護室は、つらい、苦しい。不安感や焦燥感に襲われ続ける。
楽になる方法はないかと考えているうちに、ふと何かの本で読んだことを思い出す。確か「脳内革命」という本だったと思う。ある方法をすることで、脳の中にβエンドルフィンという脳内ホルモンを分泌し、痛みを麻痺させ、リラックスさせることができると書いてあった。その方法は「腹式呼吸」。
βエンドルフィンは、ヘロインよりもずっと強い快楽効果があり、しかも自分の脳内で作られるため、まったく無害ということらしい。お腹を手で押さえ、腹式呼吸をずっと繰り返した。これで離脱症状が楽になればいい。
腹式呼吸に集中していて、いつのまに時間が経っていた。突然、「晩ご飯です。デイルームにお集まりください」と、天井のスピーカーがいった。
ガチャリと鍵が開けられたので、ドアを開き、保護室を出て、鉄格子の外の空気を吸い、デイ・ルームへと歩いた。
デイルームでの晩餐
保護室の各部屋から、ぞろぞろと患者が集まってきた。皆、表情がなく、死人のような顔をしている。皆、牢屋の中でそれぞれ辛い思いをしているのだろう。
狭いデイルームのテーブルに、食事の乗ったプレートと名前が書いてあるネームプレートが置いてある。自分の名前の席へつき、黙ったままメシを喰った。
テレビが点けられているので、とりあえず耳をかたむけてみる。まだ、人とお喋りする気力などはない。テーブルの対面にも人が座ったが、会釈程度しかしていない。
お腹は空いてたが、食欲がまったくない。アルコールで酒で食道や胃がやられ、まったく食べる気がしない。他の患者も、死人のように押し黙っている。
ご飯を3口くらい食べると吐きそうになったため、残りは全部残飯に捨てた。瀬野川病院の食事はカレーやカツ丼など割と美味しいものを出すのだが、200時間ほぼ焼酎25度のストレートしか胃や食道に入れてない状態の消化器官に揚げ物はきつい。
タバコをずっと我慢していたため、とりあえず看護師に1本前借りし、喫煙所に立った。タバコは嫌いなのに、やめられない。そんな私でも、数時間ぶりのタバコは美味しいと感じた。
喫煙所は知らない人ばかりだったので、ひとことも喋らなかった。
アルコール離脱症状でテレビが耳に入らない
タバコが終わると、テレビのチャンネルを変えてニュースにした。
目はニュースの映像を見ていたが、アナウンサーが話す言葉がまったく頭に入ってこない。まだアルコール離脱症状が続いており、頭はまったく回ってくれない。
ただ、ボーッと呼吸を繰り返している。
私の脳は、テレビの光、音を、ただの電磁波、ただの空気の振動として認識していた。意味のある日本語として、アナウンサーが発する言葉をまったく理解できない。NHKのアナウンサーが口をパクパクさせる。口の開閉とともに標準語のハッキリとした声が聞こえてくる。その映像と音声は、目と耳を通して脳を通過し、後ろへ出ていく。
まだ夕方6時すぎだった。
また保護室へ閉じ込められる
しばらくすると看護師に「みなさん、自分の部屋に戻ってください」と命令され、自分の部屋にもどる。もう、保護室は吐き気がしそうなほど嫌なのに。また「ガチャン」と金属音がして、鍵が閉められた。また孤独。精神安定剤が切れたのか、またアルコール離脱症状の恐怖感、不安感が襲ってくる。
まだ手足の震えが止まらない。まだアルコール離脱症状が消えていない。苦しい、つらい。ベッドで複式呼吸をしつつ夜を待った。しかし、いつまでたっても窓が暗くならない。今は6月末。一年で一番日が長いことを思い出した。
睡眠薬を飲んでも眠れない
2時間くらい経ってもまだ外のはうすぼんやりとしている。心のなかは真っ暗な闇なのに。
意識があるとアルコール離脱症状で辛いばかりなので、睡眠薬をもらって飲んだ。そして2~3時間か過ぎたように感じたが、少しも眠くならない。
看護師を呼んで、睡眠薬を追加してもらった。ふと気がつくと、窓は真っ暗になっていた。いつのまにか眠ったのか。保護室には時計がないため、今何時なのか、まったく見当がつかない。
鉄格子の向こうの曇りガラスが、ほんの少しだけ青く染まった空の色をにじませていた。
朝かな・・・・・・
保護室での生活はつらい、苦しい、早く出してくれ まとめ
以前の経験からすると、アルコール離脱症状が治まらないと保護室から解放されないようでした。
まだ手足は震え、心は不安感と焦燥感に襲われ、精神安定剤がないと正気を保てない、そんな感じでしたので、まだまだ保護室にいなければいけないようです。
保護室に1か月近く入っていた患者がいましたが、よく発狂しないな、と思いました。
あなたに役立つ記事
朝、出勤しようとすると自分の靴がべちゃべちゃに塗れていた。世にも奇妙な物語
⇒泥酔して寝ぼけて小便を靴にかけた情けない旦那
最初に入院したのは総合病院でした。毎日抜け出して、酒飲みながらスロットを・・・
⇒入院中に飲酒してスロット、泥酔して無銭飲食で交番で保護
家族が、配偶者がアルコール依存症であることを見破るには
⇒手の震えはアルコールの離脱症状|アルコール依存症の家族から見てわかる症状